実況「いやー、〇〇選手パフォーマンスが落ちてきましたねぇ」
解説「今乳酸が溜まってしんどい場面だと思います」
乳酸といえば筋肉疲労の原因物質(疲労物質)。
そのような常識の中で、私たちは青春時代を過ごしてきました。
ところが、実は現在のスポーツ科学では「乳酸が疲労物質ではない」が常識になっています。
なぜ乳酸は運動による疲労物質と認識されるに至ったのでしょうか?
そしてどのような研究成果により、その認識が覆されていったのでしょう?
本記事では、乳酸と筋肉疲労に関して解説を行います。
糖質の代謝と乳酸が生じる仕組み
乳酸と運動とはどのように結びつくのでしょうか?
乳酸は運動のエネルギー源として重要な糖質の代謝の過程で生じる物質です。
筋肉を動かすためにはエネルギーが必要
筋肉を動かすにはエネルギーが必要です。
筋肉はエネルギー物質(ATPと呼ばれる)を分解することで、動かすためのエネルギーを得ています。
ATPを生産するには、2つの方法があります。
ATPの生産方法①:クレアチンリン酸(ATPの筋肉中のストック)からATPを生産する方法
ATPの生産方法②:糖質や脂質、アミノ酸などのエネルギー物質を分解してATPを生産する方法
ATPの生産方法①のクレアチンリン酸はすぐに運動のエネルギー源として使用できますが、蓄積できる量は数なく数秒でなくなると言われています。
一方、ATPの生産方法②では、即効性はATPの生産方法①より劣りますが、クレアチンリン酸よりも貯蔵量が多いため長い時間の運動のエネルギー源として使用できます。
そのため、数秒というごく短時間の運動をのぞいて、糖質や脂質、アミノ酸からエネルギーを取り出すATPの生産方法②の過程が重要になるのです。
運動時の主なエネルギー源は糖質
糖質や脂質、アミノ酸の3つの中で、運動時のエネルギー源として特に重要になるのは糖質です。
安静時には脂質の利用量が多く、糖質と脂質の利用比率は 1:2 程度なのですが、運動の強度が上がると糖質の相対的利用量が増加し、脂質の相対的利用量を逆転します。
なぜ糖質が重要になるのでしょうか?
それは、使い勝手の良いエネルギー源だからです。
脂質は、貯蔵量こそ多いものの、水に溶けにくいため、利用するのに手間がかかります。
一方、糖は水に溶けやすいので、エネルギーの需要が増えた時に利用量を増やすことが可能なのです。
しかし、糖質にもデメリットがあります。
それは、貯蔵量には限界があることです。
例えば、糖質は水と結合して貯蔵する必要があるためたくさん存在すると重くなってしまいます。
また、糖質はタンパク質とくっつく性質があるため、大量に存在すると危険です。
糖尿病は血液中の糖質が多すぎることで引き起こされる病気ですよね。
つまり糖質は使い勝手が良いが貯蔵量に限界がある物質ということです。
この糖質を代謝によってうまくエネルギーに変換することが運動のパフォーマンスにとって重要になるのです。
糖質の代謝と乳酸生産
糖質はどのようにしてエネルギー物質(ATP)に変換されるのでしょうか?
糖質は血液中で主にグルコース、筋肉や肝臓で主にグリコーゲンの形で貯蔵されています。
グルコースやグリコーゲンは筋肉細胞内において2つの経路で代謝されます(図1)。
図1 糖質の代謝の概要
代謝経路①:細胞質でグルコースからピルビン酸を生成する経路(解糖系)
代謝経路②:細胞内のミトコンドリアでピルビン酸を酸素を使って代謝する経路(クエン酸回路・電子伝達系)
乳酸は一体どこで出てくるのでしょうか?
代謝経路①で生成されたピルビン酸の一部が乳酸に変換されます。
これは、代謝経路①でグルコースから取り出された水素の受け手となる分子(NAD+と呼ばれる)を再生する上で重要なプロセスになります。
つまり、乳酸生産は代謝経路①を続けるために生産される分子ということになります。
エネルギー(ATP)への変換効率は代謝経路①より代謝経路②の方が高いことが知られています。
代謝経路①では、グルコース1分子から2ATPが生産されるのに対し、代謝経路②では、グルコース1分子から36ATPが生産されるのです。
なぜ乳酸が疲労物質とみなされた理由
糖質の代謝の過程で作られる乳酸は、なぜ疲労物質と認識されてきたのでしょうか?
乳酸を疲労物質とする説の主張は、「強度の高い運動を行うと乳酸が出て、筋肉が酸性化して筋肉疲労が起こる」というものです。
ここでは、この説の基本となる考え方を紹介します。
① 激しい運動をすると乳酸が「溜まる」?
乳酸が疲労物質とされていた理由の一つ目は、一定以上の強度の高い運動を行うと乳酸の生産量が増加し、「溜まっている」ように見えることです。
運動時の糖質の分解と乳酸生産料の変化を図2に示します。
図2 運動時の糖質分解と乳酸生産の変化
安静時は乳酸の生産量は低く維持されています。
このとき、代謝経路①と代謝経路②はどちらも働いているのですが、糖質の利用が少ないため見かけ上は乳酸量が増えません。
そして、運動の強度がある点(LTと呼ばれます)を超えると乳酸の生産量が増加します。
これは、糖質利用の需要が増えたときに、代謝経路①の反応量は急に上げられるのですが、代謝経路②の反応量は上げられないため起こります。
代謝経路②の不足分を代謝経路①の反応で補っているという訳です。
このとき、代謝経路①は代謝経路②よりもエネルギー(ATP)の変換効率が低いため、代謝経路①をたくさん行う必要があり、大量の乳酸が生産されるのです。
乳酸は代謝経路②の反応量を上げられないことによる、いわば「糖分解の渋滞」によって大量に生産されるのです。
このように、乳酸は激しい運動を行うと大量に生産され、また代謝経路①の結果出てくる老廃物のように見えることから、筋肉疲労に関わっているのではないかと古くから考えられてきたのです。
② 乳酸が「溜まる」と筋肉が疲労する?
乳酸が疲労物質とされていた理由の二つ目は、乳酸が筋肉の酸性化を引き起こすことです。
乳酸が「酸」と付くだけあって、酸性物質です。
そのため、乳酸がたくさん生産されると筋肉が若干酸性化します。
人間の体は正常時には中性(pH7.4程度)なのですが、たくさんの乳酸により、筋肉はpH6.5程度まで下がるそうです。
筋肉が酸性状態になると筋肉の収縮が悪くなる(=筋肉疲労が起こる)ことが、カエルなどを使った研究で明らかになっています。
このように、乳酸は筋肉を酸性化させることで筋肉疲労を引き起こす可能性があるため、疲労物質と考えられてきたのです。
乳酸は疲労物質じゃない?
冒頭でも述べたとおり、現在の認識では「乳酸は疲労物質ではない」という考え方が一般的です。
これは、研究が進むにつれて、乳酸が疲労物質とする説に反するような事例が出てきたためです。
ここでは、2つの例を紹介します。
① 筋肉疲労時に乳酸は溜まっていなかった?
運動時のパフォーマンスと乳酸の関係を見てみると、パフォーマンスが低下していく時は乳酸生産量が少ないという事例が観察されています。
筋肉疲労時には乳酸が「溜まっていなかった」という訳です。
長時間運動し続けることで起こる筋肉疲労
まず、長時間運動することによる筋肉疲労の例を見てみます。
持久走などでだんだん体が重くなっていった経験がありますよね。
乳酸が徐々に溜まって疲れて行くと思いきや、実はそうではないらしいです。
実は、マラソンやサッカーの後半は血中乳酸濃度が下がることが示されています。
長時間運動の後半でパフォーマンスが落ちていく際には、乳酸は溜まるどころか減っているのです。
短期間の激しい運動で起こる筋肉疲労
次に、1分程度の全力運動による筋肉疲労について見てみます。
筋肉がパンパンになる感じの疲れ方ですね。
こちらは運動時間が短いため、乳酸生産と完全無関係だという結果は示されていません。
しかし、400m走るを例にすると、速度変化パターンと乳酸の蓄積のパターンは一致しないようです。
400m走では300mまでは乳酸が蓄積していくが、スピードが落ちていくラスト100mは乳酸生産量が下がっていることが示されています。
短時間の強度の高い運動でも、筋肉疲労によるパフォーマンス低下時は乳酸が溜まるだけでは説明できない(乳酸が無関係とは言えない)のです。
② 筋肉の酸性化が筋肉疲労へ与える影響は過大評価だった?
乳酸は酸性物質であるため、大量に蓄積すると体内・筋肉内が酸性化して、筋肉疲労を引き起こす可能性について述べました。
しかし、筋肉の酸性化が筋肉疲労に与える影響は過大評価されていた可能性があります。
実は、酸性化が筋肉疲労に関係することを示す研究は、体温より低い温度で行われた研究だったのです。
哺乳類の筋温に近い条件では、筋肉の酸性化の影響は大きくないことが示されています。
次のように、ラットを使用した研究では、温度条件によって酸性化が筋肉の収縮に及ぼす影響に違いがあることが示されています。
4℃で測定した場合:酸性化によって筋収縮が影響される。
28℃で測定した場合:酸性化の影響は大きくない
このように、乳酸が疲労物質とする説に反する結果が出てきたことにより、乳酸は疲労物質ではないのではという考え方が深まっていったのです。
乳酸は運動のパフォーマンスにとって重要
乳酸が疲労物質ではないとすると、生産された乳酸は何に使われているのでしょうか?
現在では、乳酸は運動のパフォーマンスにとって重要な物質だと考えられています。
乳酸はエネルギー源
代謝経路①でピルビン酸から乳酸ができる反応は逆にも進むため、乳酸はピルビン酸に戻ってミトコンドリアに入り、代謝経路②で代謝されています。
乳酸はまだまだエネルギー源なのです。
代謝経路②の反応量に制限があるから乳酸が生産されると述べました。
そのため、乳酸は運動時のエネルギーとして価値があるのかと疑問に思った方もいるかもしれません。
細胞間乳酸シャトル
これに関して、面白い考え方があります。
それは細胞間乳酸シャトルと呼ばれる考え方です。
これは、乳酸は筋肉に貯蔵しているグリコーゲンの再分配に役立っているというものです。
肝臓グリコーゲンのストックは500kcal程度であるのに対し、筋肉グリコーゲンのストックは1500kcal程度。
筋肉に貯蔵されているグリコーゲンをいかに上手に使うかが大事になりそうですね。
筋繊維には速筋繊維と遅筋線維の2種類あります。
速筋繊維:収縮スピードが速く、大きな力を発揮できるが、ミトコンドリアが少なく疲労しやすいのが特徴。
遅筋繊維:縮スピードがゆっくりで発揮できる力も小さいが、ミトコンドリアが多く疲れにくいのが特徴。
速筋繊維にはグリコーゲン貯蔵量が多く、糖質をミトコンドリアで代謝できる量が少ないため、乳酸生産が多く行われます。
この生産された乳酸は、筋肉から血液中に放出されて身体全体に循環され、遅筋線維に取り込まれてミトコンドリアで代謝されるのです。
ミトコンドリアでの代謝に余裕(代謝経路②をたくさん行える)のある遅筋繊維で消化されることになりますね。
速筋線維のグリコーゲンを乳酸の形で再配分していると考えると、人体は改めてよくできているなと感じます。
筋肉疲労の要因は複合的
乳酸が疲労物質ではないとすると、一体疲労の原因は何なのでしょうか?
筋肉疲労はエネルギー量やイオンバランスなど複合的な要因によって起こります。
ここでは、運動による筋肉疲労の原因について紹介いたします。
貯蔵されている糖質(グリコーゲン)量の低下
エネルギー代謝の観点からすると、筋肉に貯蔵されている糖質(グリコーゲン)の量が減少することが、疲労の原因と言えます。
乳酸が生産されるような運動は、糖質からのエネルギー変換効率の悪い代謝経路①を多用している訳なので、たくさんの糖質を消費してしまうのです。
これによって、エネルギーとして使用できる糖質の量が少なくなるため筋肉が疲労する訳ですね。
乳酸が生産されるから筋肉疲労が起こるのではなく、筋肉疲労が起こるような運動をしている時は結果として乳酸が生産されているという訳です。
その他の筋肉疲労にかかわる要因
リン酸とカルシウムイオンの結合
筋肉を動かすことによって生じたリン酸がカルシウムイオンと結合することも、筋肉疲労と関連します。
筋肉はエネルギー物質であるATP(アデノシン三リン酸)をADP(アデノシン二リン酸)に分解することで収縮します。
この時に生じたリン酸は、カルシウムイオンと結合する性質があるそうです。
カルシウムイオンは筋肉の収縮に必要な物質であるため、リン酸と結合することで筋肉が収縮しにくくなる、つまり筋肉疲労が起こるという訳です。
筋肉細胞内外のカリウム・ナトリウムイオン濃度
筋肉細胞内外でのカリウム・ナトリウムイオンの濃度変化もまた、筋肉疲労と関連します。
通常、カリウムイオンは細胞内液に多く、細胞外液に少ないのが特徴で、ナトリウムイオンは逆に細胞外液に多く、細胞内液に少ないのが特徴です。
この濃度差により電位が生じており、それが一時的に逆転することで神経刺激が伝達され、筋収縮が伝わるのです。
強度の高い運動をすると筋内のカリウムが漏れ出し、筋外のナトリウムが筋内に入りこみます。
筋内外のカリウム濃度差が少なくなることで電気的性質に影響し、筋収縮が低下するというのです。
まとめ|乳酸は疲労の原因ではなく結果である
本記事のまとめを示します。
・乳酸は、強度の高い運動を行うと生産量が増えることや、筋肉を酸性化して筋肉疲労を引き起こすことなどの理由で、筋肉疲労の原因物質とみなされてきた。
・研究が進むにつれ、運動中のパフォーマンス低下が乳酸で説明できないことや、筋肉の酸性化の影響が過大評価だったかもしれないことを示す例が出てきて、乳酸が疲労物質ではないという認識が強まってきた。
・乳酸は運動時のエネルギー源であり、運動のパフォーマンスにとって重要な物質である。
・乳酸が生産されるから筋肉疲労が起こるのではなく、筋肉疲労が起こるような運動をした結果として乳酸が生産されるのである。
かつては疲労物質とされていた乳酸が、今では運動に重要な物質と考えられているなんて、面白いですよね。
常識を疑ってみることの重要性を改めて実感しますね。
参考文献
- 八田 秀雄:「乳酸と運動生理・生化学ーエネルギー代謝の仕組みー」.市村出版(2009)
- 八田 秀雄:「乳酸はエネルギー源で、適応を起こすシグナルである」.日本スポーツ栄養研究誌,6,3-9(2013)
- 和田 正信,三島 隆章,山田 崇史:「筋収縮における乳酸の役割」.体育学研究,51,229-239(2006)
- D. Allen and H. Westerblad, Lactic Acid–The Latest Performance-Enhancing Drug, Science, 305, 1112-1113 (2004)